粗削りですが、いくつか考えるべき重要な視座が示されているとは思います。
一つ目が「死ぬ権利」そしてその方法として(結果苦痛があり無残な死に様となる)自殺ではなく、安楽死が法的に認められることは、どうなのか。我が国での安楽死事件で起訴された例は全て有罪判決です。安楽死が法的に認められる、正確には違法性を阻却され罪とならない要件(いわゆる名古屋高裁判決といわゆる東海大事件)も示されていますが、いずれも有罪つまり安楽死(させること)は認められていません。
二つ目に、死について考えることすなわち死生観を忘れた今の日本人が、盲目的延命すなわちどこかの議員が「胃ろうエイリアン」と表現したような、本人の意志無く無理矢理「生かされている」人が30万人とも50万人とも言われる状態、その泥沼にはまっていることとの対比。そうなった理由は厚労省がやっと調査して、8−9割は「なんとなく」です。対して茶飲み話でいつ死ぬどう死ぬ、が話題になる社会とそれができる見識を市民が持つ時代は、ではどうか。実はほんの70余年前まで、日本軍人や多少学識あるような人は辞世の句・歌をしたため死に立ち向かっていたのです。
* * * * * * *
さてそこで問題は、「なぜ安楽死したいのか」次に「安楽死は本当に安楽なのか」です。
私は度々再放送されたNHKドキュメント「青春法廷〜安楽死事件模擬裁判」のゼミのOBです。このゼミでは実際の安楽死事件の本物の裁判調書を教材として、その現実を知り考えるというものです。それは実に凄惨なもの、安楽とは程遠い死でした。子宮ガン末期の妻に頼まれ、包丁で刺す。死にきれず何度も刺す。骨盤内腫瘍は排泄を損ない、痛みだけでなく尊厳すらも奪います。しかしその苦しみからの脱出のはずが、最後に苦しすぎる死にしかならなかったのです。
すなわち「なぜ安楽死したいのか」は本来的に「今そして今後とも逃れられない病苦から逃れるため」であるはずです。次の問題としてそれを「ただ生きていてもつまらないから」等の価値観的問題にまで展開するかは別として。そして「安楽死は本当に安楽なのか」これは国内全ての安楽死事件では「NO」です。方法からして死んだ人は何らかの苦痛があったと想われます。
そもそも「生きることに喜びや希望が何も無い」こと自体が既に精神的苦痛、スピリチュアルペインであって、その苦痛がある限り、どんな方法の安楽死もその苦痛を本質的に解決しないままです。
安楽死を求める人たちが居る一方で、現状では治療法が無い難病の、それも全身が麻痺し呼吸すら機械に委ねている人たちでも、明確な意思を持って生きようと努力している人たちも居ます。生存権同様に「死ぬ権利」を認めるかは別の問題として、そもそも生きることに希望や喜びを見出せないような社会そして医療であることにこそ、まず問題を感じるべきと想います。それは端的に言うならば緩和ケア、ホスピスケアの欠如不足であり、生活保護その他困窮者への社会保障の不備であり、それ以前に一人一人の市民自身の死生観の欠如「死について何も考えていない」ことです。死について考えることなければ、生きることの意味も意義も分かる感じることはできないだろうと想うのです。
さて、マンガの最後は亡き夫が遺した「あるもの」で終わります。選択肢は、あったとしてもただの選択肢です。幸せは、何によって得られるのか。物質的豊かさを求め続けたのに経済が低迷する今の日本でこそ、再び気づくこともできるかも知れません。
『安楽死』が定着した、もしもの日本 高齢女性の物語に胸が締め付けられる
https://grapee.jp/687553 @grapeejp
https://www.facebook.com/grapeejp/posts/2319347951638913
「死」の本質を論理的に考える、超人気講義の中身 | 要約の達人 from flier | ダイヤモンド・オンライン
https://diamond.jp/articles/-/204287
BS20周年ベストコレクション BSスペシャル
「青春法廷−生命を問いかける学生たち」
http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20090620/001/12-2100.html
彼女は安楽死を選んだ NHKスペシャルの番組公式サイトです。 http://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20190602
辞世の句・歌を詠んで死生観を培い善く生きるための会
https://www.facebook.com/groups/1443646782586298/
【看取り・緩和ケア・ホスピスケアの最新記事】
