筆者が学生時代の90年代から、看護師の間に蔓延するある重い感染症が知られていました。その感染症罹患すると、効果的な治療薬は無いというのです。そんなバカなと想いながらも、内心、感染しないよう恐れていました。
そうです「玉ねぎ症候群」と呼ばれる感染症です。
このほど2021年10月から、コメディカル各職種に大幅な範囲の医療行為実施が認められます。医療の高度化と人手不足に対応するというのが名目ですが。。。看護師の業務に重なるものが多々あります。そこからが問題です。
* * *
訪問看護ステーションは制度化当時から在宅でのリハビリテーション機能を期待され、そのためリハビリ専門職が配置できることになっていました。これはリハビリ専門職がリハビリをするのではなく、リハビリ専門職がアセスメントとプランニングを行い、看護師が日常的ケアの中でリハビリん専門職と協働して「生活リハビリ」を展開する、という意図だったと理解しています。
ところが。「リハビリなんか看護師の私の仕事じゃない」という声が。。。
しかしです。実はリハビリテーションは、看護から派生し専門分化、資格化されたものなのです。
元々リハビリはナイチンゲールがクリミアの戦地で近代看護を創始した後、負傷し特に手足や視力聴力などを失った傷痍軍人に対し、社会復帰を援ける必要性が生じたために発生したと言われています。当然ながら当時リハビリ専門職など存在せず、看護職がリハビリを担いました。筆者が読んだリハビリテーション看護の教科書の見開きには、ナイチンゲール女史のような服装の看護婦が機能訓練を行っている絵が載っていました。リハビリは、看護だったのです。
ところがリハビリが専門化したこともあるとはいえ、看護師は「それは私の仕事じゃない」と「リハビリを放棄」してしまいました。
「介護覚書」なる「看護覚書」をもじりつつも痛烈に看護師の現状を批判しつつ、「リハビリは生活の中で自然に生活をしながらこそするべきだ」と「生活リハビリ」を三好春樹氏は提唱しています。既に問題になっているように、リハビリ制限もあり、短時間の週数回のリハビリでは、効果は期待できません。日々の生活の中で自然に少しずつリハビリしていくこと、それは看護の中でこそ実現もできることのはずなのですが。
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筆者があるとき短期間在職した神奈川で一番新しい政令市のJAXAにも近いとある総合病院では、7:1看護にも関わらず、看護師がベッドサイドにほとんど居ない。電子カルテにかかりっきり。シーツ交換などはすべて看護助手さんに任せきり。そんな病院に新卒者が10名近く入職しました。学生実習さながらに熱心にベッドサイドに付く彼女たちはまさに白衣の天使。
ところがある日。ガン末期のまだ初老の男性。とにかく痛くて動けない。オピオイドが足りなかったのです。「痛がって動かないから」となんと1か月近くシーツ交換せず、真っ黒。新人さんが私に耐えかねて「シーツがあ。。。」と涙ながらに訴える。シーツ交換は助手さんの仕事ですが、、、「わかった、私がやる」できるだけ、そーっと、そーっと。なんとか奇麗なシーツに替えることができましたが。。。
ナイチンゲールがクリミアで最初にしたことは「窓を開けて換気し、掃除をしシーツを清潔なものに替え、温かいスープを作って食べさせること」だったと伝えられています。ナイチンゲール看護論もそのように構成されていますね。ところが、それを放棄していた看護職たちでした。
「玉ねぎ症候群」とは、玉ねぎをむいていくと、最後は無くなってしまう、「それは自分の仕事じゃない」と転嫁していくと、最後に「あれっ、私のする看護はどこにあるのー!?」になりかねない。。。気が付いたら存在が消滅してしまう、しかも誰かに影響され感染していくことすらある、世にも恐ろしい感染症です。皆さんご注意ください。なお、手洗い等の標準予防策スタンダードプリコーションは、無効です。
医師業務の分担
http://yoshimurayasunori.jp/blogs/%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E6%A5%AD%E5%8B%99%E3%81%AE%E5%88%86%E6%8B%85/
https://www.facebook.com/YoshimuraYasunoriLab/posts/4634593173231979
2021年09月20日
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