安楽死が制度化され保険適応!? になった未来の日本の衝撃的? なマンガが取り上げられていました。お年寄りの世間話で「あんたいつ死ぬ?」が日常になる。お役所が「安楽死ガイド」を配布している。子供世代から「おじいちゃんおばあちゃんいつ安楽死するの」「早く安楽死したら」なんて話になる!? デス・ハラスメントの存在する時代。
粗削りですが、いくつか考えるべき重要な視座が示されているとは思います。
一つ目が「死ぬ権利」そしてその方法として(結果苦痛があり無残な死に様となる)自殺ではなく、安楽死が法的に認められることは、どうなのか。我が国での安楽死事件で起訴された例は全て有罪判決です。安楽死が法的に認められる、正確には違法性を阻却され罪とならない要件(いわゆる名古屋高裁判決といわゆる東海大事件)も示されていますが、いずれも有罪つまり安楽死(させること)は認められていません。
二つ目に、死について考えることすなわち死生観を忘れた今の日本人が、盲目的延命すなわちどこかの議員が「胃ろうエイリアン」と表現したような、本人の意志無く無理矢理「生かされている」人が30万人とも50万人とも言われる状態、その泥沼にはまっていることとの対比。そうなった理由は厚労省がやっと調査して、8−9割は「なんとなく」です。対して茶飲み話でいつ死ぬどう死ぬ、が話題になる社会とそれができる見識を市民が持つ時代は、ではどうか。実はほんの70余年前まで、日本軍人や多少学識あるような人は辞世の句・歌をしたため死に立ち向かっていたのです。
* * * * * * *
さてそこで問題は、「なぜ安楽死したいのか」次に「安楽死は本当に安楽なのか」です。
私は度々再放送されたNHKドキュメント「青春法廷〜安楽死事件模擬裁判」のゼミのOBです。このゼミでは実際の安楽死事件の本物の裁判調書を教材として、その現実を知り考えるというものです。それは実に凄惨なもの、安楽とは程遠い死でした。子宮ガン末期の妻に頼まれ、包丁で刺す。死にきれず何度も刺す。骨盤内腫瘍は排泄を損ない、痛みだけでなく尊厳すらも奪います。しかしその苦しみからの脱出のはずが、最後に苦しすぎる死にしかならなかったのです。
すなわち「なぜ安楽死したいのか」は本来的に「今そして今後とも逃れられない病苦から逃れるため」であるはずです。次の問題としてそれを「ただ生きていてもつまらないから」等の価値観的問題にまで展開するかは別として。そして「安楽死は本当に安楽なのか」これは国内全ての安楽死事件では「NO」です。方法からして死んだ人は何らかの苦痛があったと想われます。
そもそも「生きることに喜びや希望が何も無い」こと自体が既に精神的苦痛、スピリチュアルペインであって、その苦痛がある限り、どんな方法の安楽死もその苦痛を本質的に解決しないままです。
安楽死を求める人たちが居る一方で、現状では治療法が無い難病の、それも全身が麻痺し呼吸すら機械に委ねている人たちでも、明確な意思を持って生きようと努力している人たちも居ます。生存権同様に「死ぬ権利」を認めるかは別の問題として、そもそも生きることに希望や喜びを見出せないような社会そして医療であることにこそ、まず問題を感じるべきと想います。それは端的に言うならば緩和ケア、ホスピスケアの欠如不足であり、生活保護その他困窮者への社会保障の不備であり、それ以前に一人一人の市民自身の死生観の欠如「死について何も考えていない」ことです。死について考えることなければ、生きることの意味も意義も分かる感じることはできないだろうと想うのです。
さて、マンガの最後は亡き夫が遺した「あるもの」で終わります。選択肢は、あったとしてもただの選択肢です。幸せは、何によって得られるのか。物質的豊かさを求め続けたのに経済が低迷する今の日本でこそ、再び気づくこともできるかも知れません。
『安楽死』が定着した、もしもの日本 高齢女性の物語に胸が締め付けられる
https://grapee.jp/687553 @grapeejp
https://www.facebook.com/grapeejp/posts/2319347951638913
「死」の本質を論理的に考える、超人気講義の中身 | 要約の達人 from flier | ダイヤモンド・オンライン
https://diamond.jp/articles/-/204287
BS20周年ベストコレクション BSスペシャル
「青春法廷−生命を問いかける学生たち」
http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20090620/001/12-2100.html
彼女は安楽死を選んだ NHKスペシャルの番組公式サイトです。 http://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20190602
辞世の句・歌を詠んで死生観を培い善く生きるための会
https://www.facebook.com/groups/1443646782586298/
2019年06月11日
2018年06月26日
「生きる目的、理由、喜び、役割そして尊厳」
先日シェアした「102歳現役農家のおじいちゃん」沖縄県名護市の新崎康信氏のニュースは、超高齢化社会の進展とともに「胃ろうエイリアン、胃ろうゾンビ」「介護虐待、遺棄、殺人」「年金介護財政危機」と暗いニュースばかりの中で、まさしく南国の太陽のように明るく温かいニュースでした。そしてこのニュースには超高齢化社会を考えるうえで重要な示唆があると想います。「役割」ということの意義です。
「長生きは長寿はいいことだ」戦後しばらく日本人の寿命は結核その他の感染症が猛威を振るい「人生五十年」、だからこそ60歳の「還暦祝い」に始まり古希、喜寿、傘寿、米寿、、、とめでたく祝ったのでしょう。もちろん還暦を前に死んでしまえば認知症、ボケることもほぼありませんから、介護もほとんど無く迷惑をかけるでもなく死んでいったことでしょう。私が学生時代「死ぬ前の平均寝たきり期間は二週間」と専門誌で読んだ記憶があります。しかしまだまだという時に命を落とす人も少なくなかったはず、一家の大黒柱を失い親を失い「もっと生きていて欲しかった」その願いがあくなき医療の進歩を支え、国民皆保険制度により誰でも必要な医療を安くときに無料で十分受けられるようになりました。
問題はそこからです。高度成長期を迎え豊かになると、政権が人気取りポピュリズムのため老人医療無料化という大バラマキを始めました。その後完全無料ではなくなりましたが、積み木のように積み上げられた特例の山で、老人医療はタダ同然とすら言えるバラマキ放題になっています。
さらに医療の発展により、子供や若い人が死ぬことが少なくなり、核家族化で老いた世代と若い世代が隔絶され、「死」その過程の「老い」を身近にすることも少なくなりました。そしていざ肉親が寝たきり・ボケたとき、死を迎えるということを考えもしていないがゆえに「盲目的延命処置」すなわち胃ろうに代表される延命医療を「なんとなく、死なせてはいけない気がして」始めてしまうようになりました。
胃ろうで寝たきりの人を延命すれば月に30万円以上、人工呼吸器をつければ月100万円以上の医療費がかかりますが、それすら特例尽くしで実質タダに近い、だから「できるだけのことをしてください」と延命に走ってしまう。これについては最近の調査で、延命処置を受けている老人=決定した家族等の大半が「なんとなく延命を始めてしまった」=「死について考えていなかった」ことが明らかにされています。その先に起きてきたのは「胃ろうマンション」や「介護虐待、遺棄、殺人」です。
望んでもかなわなかった長生き、世界一の長寿を手に入れた、はず。なのに、現実は「ほんとうにめでたい喜ばしいのか」。もちろん個々の問題ではありますが、どこか否定的なイメージがあるような気がします。
* * *
さて、「102歳現役農家のおじいちゃん」新崎氏の記事で感銘を受けたポイントがあります。
「
「もう夏になるからナーべーラー(ヘチマ)棚作りで忙しいよ」
「90歳まではシークヮーサーやタンカンなど3千坪を手入れしたが、最近は野菜にしている」
「仕事を休むと病気になる」
高齢の父に老人ホームへの入所を勧める敏子さんだが、康信さんは「そんな暇はないよ。忙しいから」と意に介さない様子。
」
夏が来るからヘチマを作る。時、をしっかり認識し受け止め行動しています。最近は野菜にしている。三千坪もの作業は流石に難しいと見極めて、そして毎日の家族の生活に役立つ野菜を選んだのでしょう。休むと病気になる。足腰体は使わないと廃用すると、おそらく経験から理解しているのでしょう。そして、老人ホーム拒否。「忙しいから」誰のために何のために? たくさんの家族、新鮮な野菜は喜ばれるでしょう、毎日の食事になりますから。ホームに入れば、やることもなくなる、何より家族が金を出すことになる。でも今の自分はナーベーラー作れるのだから(沖縄ではナーベーラーつまりヘチマ料理が色々あります)。
あるとき、時折ネットニュースで話題になるツイッターの@mhlworzさんという方(東北の田舎の方のお医者さんのようです)があるとき「入院しているおばあちゃんが早く退院させてくれという。夕方になったら帰ってくる家族のためにそれぞれの部屋にストーブをつけて回るのが私の仕事だから、だという。早く治ろうな(意訳)」とツイートしていました。
そこに共通するものは「役割」そして「自身の存在意義」だと想います。家族あるいは誰かのために、役に立つ。その役割を果たせる自分への誇り、プライド、そこから生まれる、尊厳。
翻って、寝たきり、家族の顔も分からない言葉も出ない、管で栄養注入されて「生かされている」要介護者。「その現在の状態」を「尊厳に満ちた素晴らしい存在」として捉えられるでしょうか?
超高齢化社会、介護保険制度とともに「高齢者の尊厳」が言われて久しい日本ですが、では尊厳は、どのように、何から生じるのでしょうか。どうすれば尊厳を持てる、与えられるのでしょうか。
* * *
もはや「理不尽な早すぎる死に対抗して、長寿を求める」時代は終りました。世界一の平均寿命、実質寿命は男女とも90歳前後を誇る我が国日本は、「人としての尊厳」を失ってまで生きるべきなのか? QOL「生活の質」QOD「死の質」さらにその先のもっと高次な「人間、個としての尊厳」言うならばDignity of personality と言いましょうか、それをどう高めるか実現するかを、考えねばならない時期に来ているように想えます。そのキーワードこそが「役割」であろうと想います。
筆者の隣町・東京都町田市には、認知症の方に「仕事」をしてもらうデイサービスがあります。ボケても、まだできることがある。皆さん、いきいきと「働いている」ように見えます。あるいは、先日話題になった「注文を間違える料理店」も、また然り。私が先年統括管理していたグループホームでは、認知症の方にもできる方には食器洗い、布巾たたみ、その他お手伝いして頂いていました(うまくできず後で職員がやり直すことはありましたが)。
役割があるからこそ、人は自らを奮い立たせ、努力し、立ち上がり、働く、あるいは自らを律して自立しようとする、ことができるのだと想います。そうであれば、ケア者は「役割」をいかに再獲得させるか、それを考えることが重要になるのではないでしょうか。
102歳「忙しいよ」現役で畑仕事 沖縄・名護の新崎康信さん(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180415-00235813-okinawat-oki @YahooNewsTopics
沖縄タイムス元記事
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/235813
厚生労働省 人生の最終段階における医療に関する意識調査 報告書
http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryou/zaitaku/dl/h260425-02.pdf
認知症の人の「働きたい」を叶える次世代型デイサービス『DAYS!BLG』に行ってきました! https://ninchisho-online.com/archives/12092/
注文を「忘れる」料理店 ふしぎなお店が目指すものは https://www.huffingtonpost.jp/mamoru-ichikawa/restaurant-with-alzheimers-patients-as-waiters_b_16950084.html
「長生きは長寿はいいことだ」戦後しばらく日本人の寿命は結核その他の感染症が猛威を振るい「人生五十年」、だからこそ60歳の「還暦祝い」に始まり古希、喜寿、傘寿、米寿、、、とめでたく祝ったのでしょう。もちろん還暦を前に死んでしまえば認知症、ボケることもほぼありませんから、介護もほとんど無く迷惑をかけるでもなく死んでいったことでしょう。私が学生時代「死ぬ前の平均寝たきり期間は二週間」と専門誌で読んだ記憶があります。しかしまだまだという時に命を落とす人も少なくなかったはず、一家の大黒柱を失い親を失い「もっと生きていて欲しかった」その願いがあくなき医療の進歩を支え、国民皆保険制度により誰でも必要な医療を安くときに無料で十分受けられるようになりました。
問題はそこからです。高度成長期を迎え豊かになると、政権が人気取りポピュリズムのため老人医療無料化という大バラマキを始めました。その後完全無料ではなくなりましたが、積み木のように積み上げられた特例の山で、老人医療はタダ同然とすら言えるバラマキ放題になっています。
さらに医療の発展により、子供や若い人が死ぬことが少なくなり、核家族化で老いた世代と若い世代が隔絶され、「死」その過程の「老い」を身近にすることも少なくなりました。そしていざ肉親が寝たきり・ボケたとき、死を迎えるということを考えもしていないがゆえに「盲目的延命処置」すなわち胃ろうに代表される延命医療を「なんとなく、死なせてはいけない気がして」始めてしまうようになりました。
胃ろうで寝たきりの人を延命すれば月に30万円以上、人工呼吸器をつければ月100万円以上の医療費がかかりますが、それすら特例尽くしで実質タダに近い、だから「できるだけのことをしてください」と延命に走ってしまう。これについては最近の調査で、延命処置を受けている老人=決定した家族等の大半が「なんとなく延命を始めてしまった」=「死について考えていなかった」ことが明らかにされています。その先に起きてきたのは「胃ろうマンション」や「介護虐待、遺棄、殺人」です。
望んでもかなわなかった長生き、世界一の長寿を手に入れた、はず。なのに、現実は「ほんとうにめでたい喜ばしいのか」。もちろん個々の問題ではありますが、どこか否定的なイメージがあるような気がします。
* * *
さて、「102歳現役農家のおじいちゃん」新崎氏の記事で感銘を受けたポイントがあります。
「
「もう夏になるからナーべーラー(ヘチマ)棚作りで忙しいよ」
「90歳まではシークヮーサーやタンカンなど3千坪を手入れしたが、最近は野菜にしている」
「仕事を休むと病気になる」
高齢の父に老人ホームへの入所を勧める敏子さんだが、康信さんは「そんな暇はないよ。忙しいから」と意に介さない様子。
」
夏が来るからヘチマを作る。時、をしっかり認識し受け止め行動しています。最近は野菜にしている。三千坪もの作業は流石に難しいと見極めて、そして毎日の家族の生活に役立つ野菜を選んだのでしょう。休むと病気になる。足腰体は使わないと廃用すると、おそらく経験から理解しているのでしょう。そして、老人ホーム拒否。「忙しいから」誰のために何のために? たくさんの家族、新鮮な野菜は喜ばれるでしょう、毎日の食事になりますから。ホームに入れば、やることもなくなる、何より家族が金を出すことになる。でも今の自分はナーベーラー作れるのだから(沖縄ではナーベーラーつまりヘチマ料理が色々あります)。
あるとき、時折ネットニュースで話題になるツイッターの@mhlworzさんという方(東北の田舎の方のお医者さんのようです)があるとき「入院しているおばあちゃんが早く退院させてくれという。夕方になったら帰ってくる家族のためにそれぞれの部屋にストーブをつけて回るのが私の仕事だから、だという。早く治ろうな(意訳)」とツイートしていました。
そこに共通するものは「役割」そして「自身の存在意義」だと想います。家族あるいは誰かのために、役に立つ。その役割を果たせる自分への誇り、プライド、そこから生まれる、尊厳。
翻って、寝たきり、家族の顔も分からない言葉も出ない、管で栄養注入されて「生かされている」要介護者。「その現在の状態」を「尊厳に満ちた素晴らしい存在」として捉えられるでしょうか?
超高齢化社会、介護保険制度とともに「高齢者の尊厳」が言われて久しい日本ですが、では尊厳は、どのように、何から生じるのでしょうか。どうすれば尊厳を持てる、与えられるのでしょうか。
* * *
もはや「理不尽な早すぎる死に対抗して、長寿を求める」時代は終りました。世界一の平均寿命、実質寿命は男女とも90歳前後を誇る我が国日本は、「人としての尊厳」を失ってまで生きるべきなのか? QOL「生活の質」QOD「死の質」さらにその先のもっと高次な「人間、個としての尊厳」言うならばDignity of personality と言いましょうか、それをどう高めるか実現するかを、考えねばならない時期に来ているように想えます。そのキーワードこそが「役割」であろうと想います。
筆者の隣町・東京都町田市には、認知症の方に「仕事」をしてもらうデイサービスがあります。ボケても、まだできることがある。皆さん、いきいきと「働いている」ように見えます。あるいは、先日話題になった「注文を間違える料理店」も、また然り。私が先年統括管理していたグループホームでは、認知症の方にもできる方には食器洗い、布巾たたみ、その他お手伝いして頂いていました(うまくできず後で職員がやり直すことはありましたが)。
役割があるからこそ、人は自らを奮い立たせ、努力し、立ち上がり、働く、あるいは自らを律して自立しようとする、ことができるのだと想います。そうであれば、ケア者は「役割」をいかに再獲得させるか、それを考えることが重要になるのではないでしょうか。
102歳「忙しいよ」現役で畑仕事 沖縄・名護の新崎康信さん(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180415-00235813-okinawat-oki @YahooNewsTopics
沖縄タイムス元記事
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/235813
厚生労働省 人生の最終段階における医療に関する意識調査 報告書
http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryou/zaitaku/dl/h260425-02.pdf
認知症の人の「働きたい」を叶える次世代型デイサービス『DAYS!BLG』に行ってきました! https://ninchisho-online.com/archives/12092/
注文を「忘れる」料理店 ふしぎなお店が目指すものは https://www.huffingtonpost.jp/mamoru-ichikawa/restaurant-with-alzheimers-patients-as-waiters_b_16950084.html
2018年04月01日
「看取り救急搬送」の是非と対策
3/31毎日新聞/Yahoo!記事で、東京都、県庁所在地、政令市、中核市の79機関中回答した74機関の消防署の6割が救急車出動したものの蘇生処置を「希望しない」経験ありと報道されました。
「
2016年4月以降、実際に現場で蘇生不要の意思が示されて対応に迷ったのは46機関。DNAR対応に独自の手順を定めた地域もあり、うち16機関で蘇生を中止した実例があった。件数は16年4月〜17年9月で把握分だけで47件あった
」
「
DNARの対応を「決めている」のは44機関で全体の6割。具体的には「本人の(蘇生不要の)希望や医師の指示があっても、家族を説得し心肺蘇生を継続する」が21機関と最も多く「かかりつけ医から中止の指示があれば心肺蘇生を中止する」は12機関だった
」
救急隊は法令上、「蘇生処置して搬送するか、蘇生しないなら搬送しない」しか選択肢がありません。そもそも「救うために出動する」のだから当然です。記事のとおり、ここに「蘇生しない」ことに法的規定を明確化することは確かに必要です。
しかし近年の超高齢化、加えて在宅や介護施設での看取り体制さらに理解の不備のため、看取るべき人が臨死あるいは心肺停止すると救急車を呼ぶ事例が多いと言われます。現実問題として特に在宅の場合、往診医をかかりつけ医主治医としていなければ死亡診断できないため、救急車を呼ぶしかなくなってしまいます。そのため、死亡診断だけが必要なのにも関わらず、蘇生しながら救急搬送するという問題が生じています。
対する救急車の出動件数はうなぎのぼり、しかも必要性の無い軽症者の搬送が半数となり本当に必要な重症者の搬送に支障をきたしています。そこにさらに「看取り死亡診断搬送」が加われば、破綻パンクは必至です。「救うべき命」を護るためにも、蘇生しない人・看取りのために救急車を利用することは、止めなくてはなりません。
* * *
病床削減にも関わらず超高齢化進展により、病院で死ねない看取ってもらえない「看取り難民」発生はこのままでは必至と言われます。厚生労働省は「2020年までに在宅看取り4割」と掛け声しましたが、実現不可能なのは明白です。
この問題を解決するには、特に要介護者や持病がある高齢者は、「かかりつけ医、主治医」を明確にしておくことが当然第一義です。その医師はもちろん往診可能である必要があります。あるいは、民間救急車などによる「死亡診断受診のための搬送」の整備も有用と考えられます。さらには医師会、救急輪番病院などが「看取り当番医・病院」を体制整備することも、今後必須になるのではと想います。特に在宅医の負担や、かかりつけ医主治医を持たない人の在宅死を考えれば、個々の在宅医や病院ではなく、地域医療システム全体としての対応が求められると考えます。
もうひとつ、近年急増している有料老人ホームやサービス付き高齢者専用住宅で、看取りを掲げながら実際には看取りしない・できない、いざとなると救急車を呼んでしまう施設もあると聞きます。訪問看護ステーションによるみとり支援も制度化されてはいますが、そもそも訪問看護師不足のため十分機能しているようには見えません。看取り介護体制整備と、「本当にきちんと看取りできるのか」の評価、規制の必要もあるのではと考えます。
* * * * * * *
<救急搬送>蘇生処置「希望しない」経験6割 消防本部など(毎日新聞) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180331-00000056-mai-soci @YahooNewsTopics
総務省
http://www.stat.go.jp/naruhodo/c3d0909.html
「
平成27年の救急自動車の出動件数は、前年(598万4,921件)に比べ6万9,894件増加し、605万4,815件となりました。これは、全国で1日平均1万6,589件、約5.2秒に1回の割合で救急隊が出動したことになります〜
搬送された人は、平成27年は547万8,370人で、このうち、死亡、重症、中等症の傷病者(負傷したり病気にかかったりした人)の割合は全体の50.4%です。一方、軽症の傷病者及びその他(医師の診断がないもの等)の割合は、49.6%となっています
」
2016年の救急搬送患者、軽症と中等症が9割を占める―総務省消防庁 http://www.medwatch.jp/?p=17867
「
2016年4月以降、実際に現場で蘇生不要の意思が示されて対応に迷ったのは46機関。DNAR対応に独自の手順を定めた地域もあり、うち16機関で蘇生を中止した実例があった。件数は16年4月〜17年9月で把握分だけで47件あった
」
「
DNARの対応を「決めている」のは44機関で全体の6割。具体的には「本人の(蘇生不要の)希望や医師の指示があっても、家族を説得し心肺蘇生を継続する」が21機関と最も多く「かかりつけ医から中止の指示があれば心肺蘇生を中止する」は12機関だった
」
救急隊は法令上、「蘇生処置して搬送するか、蘇生しないなら搬送しない」しか選択肢がありません。そもそも「救うために出動する」のだから当然です。記事のとおり、ここに「蘇生しない」ことに法的規定を明確化することは確かに必要です。
しかし近年の超高齢化、加えて在宅や介護施設での看取り体制さらに理解の不備のため、看取るべき人が臨死あるいは心肺停止すると救急車を呼ぶ事例が多いと言われます。現実問題として特に在宅の場合、往診医をかかりつけ医主治医としていなければ死亡診断できないため、救急車を呼ぶしかなくなってしまいます。そのため、死亡診断だけが必要なのにも関わらず、蘇生しながら救急搬送するという問題が生じています。
対する救急車の出動件数はうなぎのぼり、しかも必要性の無い軽症者の搬送が半数となり本当に必要な重症者の搬送に支障をきたしています。そこにさらに「看取り死亡診断搬送」が加われば、破綻パンクは必至です。「救うべき命」を護るためにも、蘇生しない人・看取りのために救急車を利用することは、止めなくてはなりません。
* * *
病床削減にも関わらず超高齢化進展により、病院で死ねない看取ってもらえない「看取り難民」発生はこのままでは必至と言われます。厚生労働省は「2020年までに在宅看取り4割」と掛け声しましたが、実現不可能なのは明白です。
この問題を解決するには、特に要介護者や持病がある高齢者は、「かかりつけ医、主治医」を明確にしておくことが当然第一義です。その医師はもちろん往診可能である必要があります。あるいは、民間救急車などによる「死亡診断受診のための搬送」の整備も有用と考えられます。さらには医師会、救急輪番病院などが「看取り当番医・病院」を体制整備することも、今後必須になるのではと想います。特に在宅医の負担や、かかりつけ医主治医を持たない人の在宅死を考えれば、個々の在宅医や病院ではなく、地域医療システム全体としての対応が求められると考えます。
もうひとつ、近年急増している有料老人ホームやサービス付き高齢者専用住宅で、看取りを掲げながら実際には看取りしない・できない、いざとなると救急車を呼んでしまう施設もあると聞きます。訪問看護ステーションによるみとり支援も制度化されてはいますが、そもそも訪問看護師不足のため十分機能しているようには見えません。看取り介護体制整備と、「本当にきちんと看取りできるのか」の評価、規制の必要もあるのではと考えます。
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<救急搬送>蘇生処置「希望しない」経験6割 消防本部など(毎日新聞) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180331-00000056-mai-soci @YahooNewsTopics
総務省
http://www.stat.go.jp/naruhodo/c3d0909.html
「
平成27年の救急自動車の出動件数は、前年(598万4,921件)に比べ6万9,894件増加し、605万4,815件となりました。これは、全国で1日平均1万6,589件、約5.2秒に1回の割合で救急隊が出動したことになります〜
搬送された人は、平成27年は547万8,370人で、このうち、死亡、重症、中等症の傷病者(負傷したり病気にかかったりした人)の割合は全体の50.4%です。一方、軽症の傷病者及びその他(医師の診断がないもの等)の割合は、49.6%となっています
」
2016年の救急搬送患者、軽症と中等症が9割を占める―総務省消防庁 http://www.medwatch.jp/?p=17867
