今年4月、日本臨床救急医学会は「本人の意思が確認できる書面と医師の指示があれば、救急隊員が心肺蘇生を中止できる」との提言を発表しました。しかしさて、提言したものの、受け入れ普及は今どうでしょうか? 皆さんの現場での「実践」は如何でしょうか?
超高齢化により、在宅あるいは介護施設での急変、救急搬送はうなぎのぼりに増加しています。その中で不適切な軽症者の搬送が半数を占め、加えて死亡診断だけのための搬送などが、本来の救急医療を圧迫し疲弊させていると問題になっています。
あるいは、静かに何もせず看取るはずが、気が動転してあるいは「カリフォルニアの親戚」普段今まで手も金も出さなかった人が口だけ出して、救急搬送し最後がぐちゃぐちゃになり「こんなはずではなかった」あるいは「死に損なって植物状態遷延」などすらもときに起きるようです。
AD(Advaiced Directive)、ACP(Advanced Care Planning)、「私の4つのお願い」等の事前意思表示の体系化もされてきていますが、まだまだという感もあります。
第一義的に本人と周囲の人の満足死、平穏死、静かな善き看取りを実現するために、二義的には救急医療崩壊を食い止めるため、さらには医療予算の膨張素子と持続性ある社会保障制度の護持のため、看取りの時の救急搬送と蘇生処置の見送りは、強力に推進する必要がある、急務と考えられます。そのためには、その実践側特に在宅医療ケアや介護施設関係者がこれをしっかり理解実践しなければ、つまり患者家族にそれを教育啓蒙する必要があります。
それは具体的にはさらに急変時の連絡手順の作成、盛り込むべきは「急変時に誰に連絡するか(一覧)」「苦痛症状時とそうでない臨死期での各対応」「慌てて救急車を呼ばないこと」であろうかと考えられます。筆者の場合は、筆者が所長である訪問看護ステーションに何があってもファーストコールとしてもらうことで、その時の振り分けをできるようにしていました。
アドバンスド・ディレクティブやアドバンスド・ケア・プランニングの導入実践には、対象者の十分な理解力判断力と意欲が必要ですので、誰にもできることではないと想います。しかし市町村によっては、救急時の蘇生や延命治療の是非や連絡先などを記載して専用容器に入れ冷蔵庫に保管する、という取り組みを始めているところも増えているようです。
「終活」流行の昨今、葬儀社が「終活まつり」など普通にイベント企画する近年ですが、まだまだ自らや大切な人の看取りについて、具体的に考え特に書面化している人は1割に満たないとの調査も出ています。看取り医療・ケアに携わる在宅医療者ケア者、あるいはプライマリケア医療者や介護施設のケア者は、よりアクティブにこの問題に取り組む必要があるのではないでしょぅか。
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蘇生望まぬ場合、救命中止を 学会が初の提言 終末期患者、意思表示書など条件 - 産経ニュース http://www.sankei.com/life/news/170407/lif1704070028-n1.html @Sankei_newsさんから
2017年11月12日
2017年10月25日
緩和ケア病棟患者の機械浴が安楽であることを証明〜看護が科学であるために
病気のときは入浴を控えなさい。昔々からそう言われますが「なぜ」と言われて明確な科学的根拠に基づく返答ができるでしょうか? 「体力を消耗するから」分かった気はしますが、具体性がありません。そこに、科学的検証により具体的事実としての根拠が示されました。京都府立医科大学附属病院看護部 藤本早和子総括看護師長、大学院保健看護学研究科 岩脇陽子教授、山中 龍也教授らの研究グループの研究成果です。
看護婦が看護師に名前だけ変わり、白衣の天使と呼ばれた天使の頭の光輪代わりのナースキャップは(身のこなしを弁えずに)邪魔だからとか(洗濯もせずに)汚いからと絶滅し、白衣どころか米国の医療ドラマに倣えとVネックの手術着のようなスクラブなる格好に変わって久しい最近です。しかし振り返った時「看護にどんな明確な進歩があったでしょうか」。
北里大学看護学部の面接で面接官から「看護は実践の科学です」と微笑まれたこと、演習で「リヒカ。差し込み便器。何十年も(いやナイチンゲール以来)進歩がない」とぼそっと言った先生。かといえば卒業と同時に私が完成、報道もされた、全身がマヒした神経難病患者のための「瞬きで操作できる<目で打つパソコン>」は大学病院では無視封殺。
「看護のどこに科学があるのか」雄叫びたくもなる我が国の看護の現状!?
そこに一陣の涼風が吹き抜けたような、見事な研究が発表されました。これぞまさに看護が科学である、科学に基づいて看護は展開されるべきである、その証左です。
緩和ケア病棟入院患者とはつまり終末期の、いつ死んでもおかしくないような人も多い状態です。そこに入浴など、旧来の考えで言ったら「何考えてるの」と一蹴されそうです。しかし藤本氏らは、機械浴前後で腋下温、脈拍数、血圧と自律神経機能指標の定量評価すなわち数値化しての測定によって具体的客観的評価を行いました。もちろん本人の主観的評価も合わせて実施しています。
その結果、脈拍は低下つまりゆったりし、他指標はリラックスを示す方向を全てが示しました。
特に循環器系が弱っている場合、入浴は禁忌とされます。記事には考察が明確ではありませんが、機械浴つまり寝たまま入浴できる方法としたことで、水圧がほとんどかからずまた体位姿勢保持の負担も無いことが、安楽とリラックスにつながったと考えられます。
ナイチンゲールは臨床に居たのはわずか数年ですが、その間に得られた知見と考察を詳細にドキュメンテーションし、それが「看護覚書」等として現在の近代看護の創始となりました。いつの間にかナイチンゲール=奉仕の精神、とすり替えられてしまいましたが、本来はナイチンゲール=科学的探究人、サイエンススピリットと解するべきです。我々看護職は、今こそ「真のナイチンゲール精神」に立ち返り奮起するべきでしょう。
* * * * * * *
機械浴が安全で安楽な看護ケアであることの科学的検証 〜緩和ケア病棟の入院患者の機械浴の生理学的・心理学的な影響に関する研究論文の掲載〜 | 日本の研究.com
https://research-er.jp/articles/view/63695
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https://www.facebook.com/researcherjp/posts/1624636307567122
看護婦が看護師に名前だけ変わり、白衣の天使と呼ばれた天使の頭の光輪代わりのナースキャップは(身のこなしを弁えずに)邪魔だからとか(洗濯もせずに)汚いからと絶滅し、白衣どころか米国の医療ドラマに倣えとVネックの手術着のようなスクラブなる格好に変わって久しい最近です。しかし振り返った時「看護にどんな明確な進歩があったでしょうか」。
北里大学看護学部の面接で面接官から「看護は実践の科学です」と微笑まれたこと、演習で「リヒカ。差し込み便器。何十年も(いやナイチンゲール以来)進歩がない」とぼそっと言った先生。かといえば卒業と同時に私が完成、報道もされた、全身がマヒした神経難病患者のための「瞬きで操作できる<目で打つパソコン>」は大学病院では無視封殺。
「看護のどこに科学があるのか」雄叫びたくもなる我が国の看護の現状!?
そこに一陣の涼風が吹き抜けたような、見事な研究が発表されました。これぞまさに看護が科学である、科学に基づいて看護は展開されるべきである、その証左です。
緩和ケア病棟入院患者とはつまり終末期の、いつ死んでもおかしくないような人も多い状態です。そこに入浴など、旧来の考えで言ったら「何考えてるの」と一蹴されそうです。しかし藤本氏らは、機械浴前後で腋下温、脈拍数、血圧と自律神経機能指標の定量評価すなわち数値化しての測定によって具体的客観的評価を行いました。もちろん本人の主観的評価も合わせて実施しています。
その結果、脈拍は低下つまりゆったりし、他指標はリラックスを示す方向を全てが示しました。
特に循環器系が弱っている場合、入浴は禁忌とされます。記事には考察が明確ではありませんが、機械浴つまり寝たまま入浴できる方法としたことで、水圧がほとんどかからずまた体位姿勢保持の負担も無いことが、安楽とリラックスにつながったと考えられます。
ナイチンゲールは臨床に居たのはわずか数年ですが、その間に得られた知見と考察を詳細にドキュメンテーションし、それが「看護覚書」等として現在の近代看護の創始となりました。いつの間にかナイチンゲール=奉仕の精神、とすり替えられてしまいましたが、本来はナイチンゲール=科学的探究人、サイエンススピリットと解するべきです。我々看護職は、今こそ「真のナイチンゲール精神」に立ち返り奮起するべきでしょう。
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機械浴が安全で安楽な看護ケアであることの科学的検証 〜緩和ケア病棟の入院患者の機械浴の生理学的・心理学的な影響に関する研究論文の掲載〜 | 日本の研究.com
https://research-er.jp/articles/view/63695
https://www.facebook.com/researcherjp/posts/1624636307567122
2017年08月02日
「死ぬ」ってどんな感じだろう!?
「死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い」
という記事がありました。
怖いと言いつつ、最後は「死ぬのはそんなに苦痛に満ちたものではないかも知れませんよ」といった内容にまとめられていきます。
在宅医療、在宅看取り等では「枯れるように死ぬ」すなわち余計な点滴輸液をせずにわざと脱水気味にすることで浮腫とそれによる苦痛や見た目が醜くなることを防ぎます。そうして心肺腎機能が徐々に低下していくと、徐々に尿毒症、呼吸不全になっていき、結果意識がだんだん低下して、あまり苦しくないはず、、、と言われています。
これは、私自身が肺炎に罹ったときの、なんだか薄もやがかかったような時間感覚も定かでなくなった経験からも、そうかな、と想えます。
死とは体験したことの無い未知、未知とは恐怖。
しかしこれまで臨死体験した人の経験から、おぼろげながら「死にかけたときの感じ」は知られつつある部分もあると想います。先日逝去された日野原先生も、そういったご体験を記録されていたと記憶しています。
実際に死んでみることはできませんが、死の瀬戸際から生還した人の体験から学ぶ感じることは、できるはずです。
そして死生観の希薄化した今の日本において、「死ぬとは、どんなことだろう」それをダイレクトに考えることも、緩和ケア・ホスピスそして平穏死を迎えるためには、必要に想えます。
死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34347
という記事がありました。
怖いと言いつつ、最後は「死ぬのはそんなに苦痛に満ちたものではないかも知れませんよ」といった内容にまとめられていきます。
在宅医療、在宅看取り等では「枯れるように死ぬ」すなわち余計な点滴輸液をせずにわざと脱水気味にすることで浮腫とそれによる苦痛や見た目が醜くなることを防ぎます。そうして心肺腎機能が徐々に低下していくと、徐々に尿毒症、呼吸不全になっていき、結果意識がだんだん低下して、あまり苦しくないはず、、、と言われています。
これは、私自身が肺炎に罹ったときの、なんだか薄もやがかかったような時間感覚も定かでなくなった経験からも、そうかな、と想えます。
死とは体験したことの無い未知、未知とは恐怖。
しかしこれまで臨死体験した人の経験から、おぼろげながら「死にかけたときの感じ」は知られつつある部分もあると想います。先日逝去された日野原先生も、そういったご体験を記録されていたと記憶しています。
実際に死んでみることはできませんが、死の瀬戸際から生還した人の体験から学ぶ感じることは、できるはずです。
そして死生観の希薄化した今の日本において、「死ぬとは、どんなことだろう」それをダイレクトに考えることも、緩和ケア・ホスピスそして平穏死を迎えるためには、必要に想えます。
死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34347
